今回は移入種(いわゆる外来種)問題について少し取り上げてみたいと思います.

この問題の根幹には環境倫理学という応用倫理学の内の大きな括りがあり,その環境倫理学には

① 自然の生存権
② 地球有限主義
③ 世代間倫理

という3つの合意事項があります.
環境倫理学ではこれらのような事項について話し合いますよということです.

そして,それぞれの事項について熱心な議論が繰り広げられていますが今回はその中の一つ,①自然の生存権を取り上げてみようではないかということです.(単に気まぐれです)

人間非中心主義の問題

ここでは自然の生存権について,もう少し細かく砕いた説明をしてみます.

まず,自然の生存権を認める立場は一言で「人間非中心主義」と言い換えられます.

これは,

全体としての自然や、個々の生き物を、人間にとって役立つ(道具的価値をもつ)かどうかという観点を離れて、それ自体に価値がある(本質的価値をもつ)ものと考える,言うなれば人間以外の自然物に内在する価値を認める思想
吉永明弘「人間中心主義と人間非中心主義」加藤編集代表[2008:136-137]

と言われます.一方でそれと対立する立場となる「人間中心主義」とは,

人間は自然界で特別に重要な存在で、他の生き物はもっぱら人間に奉仕するために存在している(人間の権利や人間にとって価値あるものを保護するべきだ)という思想
吉永明弘「人間中心主義と人間非中心主義」加藤編集代表[2008:136-137]

のことを言います.

そして今回は更に人間非中心主義の中の,ある二つの思想に注目します.

実はその二種類の考え方が,人類は自然の生存権を認めるべきだという同じ思想(人間非中心主義)に根ざしているにも関わらず,移入種の問題を巡って対立してしまっているのです.

動物解放論

その一つ目が動物解放論と呼ばれるものです.

この名前はオーストラリアの倫理学者ピーター・シンガーの『動物解放論』(1972)に由来し,それ自体は利益に対する平等な配慮の原理(ベンサムの功利主義)に基づいています.

その受益対象を人間以外の有感生物にまで拡張し,個体としての動物を危害から守るべきだとする考え方を動物解放論と言います.

補足一方で,非有感生物や無生物は対象外としているため,「種差別」であるという反対意見もあります.

生態系(中心)主義

移入種の問題を巡って動物解放論と対峙しているもう一つの思想,それが生態系(中心)主義です.

まず生態系とは,あらゆる生命が相互に依存しあう関係の全体であるとします.

そうすると自然は一つの「生命共同体」とみなすことができ,なおかつ人間以外の生命も共同体の一員であるため,人間と同様に「生きる権利(自然の権利)」を有するという考え方を生態系(中心)主義と言います.

「自然の権利」という考えはアメリカで発展しました.

開拓当初はアメリカの自然は荒野であり,人間が切り拓く対象でしかありませんでした.開拓が進むにつれて,多くの自然が破壊され野生動物が絶滅していきました.しかし,その後徐々にアメリカの自然はアメリカ人の故郷と考えられるようになります.
オールスピーシーズデイ東京実行委員会『自然の権利』訴訟

1949年にアメリカの生態学者,環境倫理学者のアルド・レオポルドが『砂の国の暦』で「大地の倫理」という造語を用いて,生態系には道徳的権利(内在的価値)があると主張し,私たち人類は自然の仲間に対して支配者として振る舞うのではなく,隣人として振る舞うべきだと述べました.

また,1972年にはアメリカの法哲学者クリストファー・ストーンは『樹木は当事者になれるか?』という論文を書きました.ストーンによれば,「所得や性別,人種に良て差別され権利主体の範囲も広がってきており,今や学校や国家など人とは思えないものにまで権利が認められているのに,人間以外の自然にも権利が認められてもおかしいことではない」と主張しています.これを認めることは自然の法的権利を認めることと同義であり,レオポルドの主張する権利よりも強固なものとなっています.

移入種の問題を巡る二つの立場

国が特定外来生物に指定している「タイワンザル」を例に取り上げたいと思います.

これより以下で説明する詳細な経緯は朝日新聞(2017.11.24付)より一部引用しております.↓

参照元特定外来生物「タイワンザル」,和歌山で根絶宣言へ

 

 

当該記事へは画像もしくは以下のURLをクリックでご覧になれます:https://www.asahi.com/articles/ASKC955TJKC9PLBJ00C.html

この記事を一言でまとめると,和歌山県に生息していた外来種のタイワンザルを完全に排除できたかもしれないということが書かれています.

しかし報道を巡る,二つの人間非中心主義思想の要点を見てみましょう.

生存策(動物解放論)
  • 移入種にも「平等な配慮」が必要であり,ある特定種に対する意図的な根絶を人間が行ってはならない
駆除策(生態系主義)
  • 移入種は生態系の秩序を乱す存在であるため排除も止むを得ない

どうでしょうか?

元をたどれば同じ人間非中心主義の思想が対立してしまっているのです.

これからこの問題について考えていくにあたり,一つ気になるポイントとしては

雑種は本当にダメで,純血種が最善なのか?

だと思います.

前置きが長くなってしまいましたが,それでは私自身の一考察を述べていきたいと思います.

一考察

私は動物解放論を支持します.

まずこの移入種への対応について,人間非中心主義の中の二つの思想が対立していることが少々事態が複雑である所以です.

そのため,どちらかの思想が人間非中心主義的な方針に沿っていないのではと考えることにします.

そこで,「生態系」というかなり抽象的な言葉に疑問を感じます.

Oxford Languagesによれば

生物が(その地域で)集団として生き、ヒトを含む生物や環境と関係し合っている在り方を捉えた、全体系。
Oxford Languages

とあります.この定義に,一点私なりの解釈を付け加えると,

本能の赴くままに行動し,他の種と干渉しあうことによって生み出される体系です.

ここで用いられた本能という言葉は,未来のことを考えることなく,現在の欲求に素直に従って行動することを指します.

今回の例では,移入種のタイワンザルを処分することは,

人間の本能によるものではなく,先見性を持ってして純血種のニホンザルが絶滅し,生態系が乱れることを良くないと認識していることにより行われているのでしょう.

しかし,そもそも前提として,

生態系が乱れるとはどういうことなのでしょうか.

私が生態系の定義に則ればの話ですが,

乱れるも何も,現時点で生じている有様が生態系そのものなのであり,乱れているとか安定しているといったことは,人類も属する生態系をメタ認知(俯瞰)して捉えて,我々自身の都合の良いように解釈しているに過ぎないのではないでしょうか.

そのためニホンザルが守られることが善で,タイワンザルを野放しにするのは悪とするのは,もしかすると,

それは人間中心主義的な思想でなされていることではないのかと思うのです.

以上より,

他の種を処分するだけの力を持ち合わせている人類が,実際に人間非中心主義として訴えることができるのは動物解放論のほうであり,ましてや彼ら自身の意図によって日本へ渡ってきた訳ですらないタイワンザルも,ニホンザルと同様に平等に配慮することのほうが極めて望ましい

と考えるのです.

ここまでご覧くださりまして,どうもありがとうございました.

それではまた.

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